映画「国家の臓器」東京上映会

レポート

文・三浦小太郎(評論家)

令和7年3月26日

3月26日、文京シビックセンター小ホールにて、映画「国家の臓器」の上映会が開催された。この映画を監督したのは章勇進(Raymond Zhang)、約7年間の年月をかけて撮影・編集し、中国政府が法輪功修練者に対し行っている「臓器収奪」の実態を記録した作品である。

しかし、もちろん秘密のうちに行われる手術の場面などを撮影できるはずもなく、また、実際に被害を受けた人々はほぼ命を絶たれるため、映画は証言者たちの語る言葉と、イメージ画像によって構成せざるを得ない。しかし、監督の力量と、証言者たちの言葉の重みによって、この作品は中国政府の犯罪性を暴くことに成功している。

まず映画は、中国の元医師の鄭治氏が、自ら目撃した臓器摘出の実態について証言するところから始まる。氏によれば、1994年夏、自分は当時医科大学のインターン(臨床実習性)だったが、上司に「秘密軍事任務」への参加を命じられた。そこではまだ若い男性がロープに固定されており、左右の腎臓が生きたまま摘出された。鄭氏はその男性の眼球を摘出することを命じられたが、まだ生きて動いている、恐怖におののく男性の眼を見ていると何もできず、別の医師が眼球を摘出した。鄭氏は、あれほど恐ろしい光景を見たことはなかったと語る。

映画では、中国の臓器収奪を証拠立てるために、海外の人権運動家や活動家による様々な試みがなされている。まず患者を装って中国で移植を行っている病院に電話をかけ、「そちらで肝移植はできまずか」と問いかける。それに対する答えはほとんど、1から数週間以内に可能であるというものだ。さらに「法輪功の臓器は評判がいいのでありますか」とまで問うと、相手の医師は、一人は「ありますよ」と率直に肯定し、もう一人は可能であることを暗示する。また、「法輪功は政治犯であり(臓器は)自由にしてよい」という中国人医師が語っていたという証言も引用される。

この映画にも登場する中国衛生省の黄潔夫(Huang Jiefu)次官は、2012年段階で、中国は2年以内に死刑囚からの移植臓器供給をやめると語った。それはある意味事実かもしれない。死刑囚だけではとても現在の中国における迅速かつ大量の臓器移植を賄うことはできない。法輪功への徹底的な弾圧は1999年に始まっている。映画の中でも、法輪功の証言者たちは、当初は中国政府に対し政治的に抵抗する意思はほとんどなく、徹底的な弾圧方針を決めたのは中国政府の方であったことが明らかにされている。時期の経過を見れば、1999年4月、天津市などで不当に拘束された修練者たちの解放を求め、1万人ともされる法輪功修練者や支持者が北京に集結して政府に陳情を行った。しかしその時点では、法輪功は何ら法律や政府に抵抗する意思はないことを訴えたのみである。しかし中国政府は、江沢民を中心に、この年610オフィスといわれる機関を設置、法輪功を中国共産党にとっての最大の脅威と認定、徹底した弾圧に乗り出すことになる。

そして、この映画の主人公というべき人物は、この弾圧下で行方不明となった張雲鶴(女性)及び黄雄(男性)、そしてその家族たちである。張雲鶴の父、鶴慶発は、子供を救うために、610オフィスを含むあらゆる部署に陳情を続けるが、冷たくあしらわれるだけではなく、一度は「お前も修練者なのか」と問い詰められる。父親がどれほどの勇気で陳情を続けているかは、私たち日本に住む者にも伝わってくる。さらに映画では、法輪功の修練者が行方不明になっても、ほとんどの家族は助けることもできない、中国警察による拉致であるため、どうすることもできない現状が語られる。

そして、黄雄の兄、黄万青は、弟は逮捕を逃れ、映画「長春」でも描かれていたテレビの電波ジャックのような抗議活動を行おうとしていた、弟からの最後の便りは、自分の背広やワイシャツ、カード、身分証明などがすべて自分のところに送られてきたと語る。仮に失敗して囚われればひどい拷問が待っているばかりではなく、身分がわかれば親族に類が及ぶため、すべてを処理するつもりで送ってきたのだろうと兄は語る。「弟は使命をもって旅立ったのだと思います」と述べたうえで「風蕭蕭として易水寒く 壮士一たび去りて復た還らず」と「史記」の刺客、荊軻の詩を引用するシーンは、本作の中でも最も胸を打つ場面だ。

この映画では、法輪功からの臓器収奪は、もちろん「売買」のために行われているのだが、それ以上に「法輪功ジェノサイド」、法輪功修練者に拷問や恐怖でその教えを放棄させること、それに従わなければ抹殺することがむしろ主目的であることが強調されている。ある意味、チベット、ウイグル、南モンゴルで行われている民族ジェノサイドとその意味では共通する犯罪的な政策なのだ。中国共産党による全体主義体制が継続する限り、ジェノサイドの犠牲者たちは続出し、またその犯罪も隠蔽されることを、この映画は強く私たちに訴えている。(終)

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三浦 小太郎

出典:note.comより

著者について

三浦 小太郎(Miura Kotarou)

1960年(昭和35年)東京都生まれ。獨協高校卒業。現在はアジア自由民主連帯協議会の事務局長として活動中。

主な著書に『なぜ秀吉はバテレンを追放したのか――世界遺産「潜伏キリシタン」の真実』(ハート出版)、
『渡辺京二』(言視舎)、『嘘の人権 偽の平和』(高木書房)があり、
共著に『西部邁 日本人への警告』(イーストプレス)などがある。